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織田信長の命を受け北の庄城(福井城)を築いた柴田勝家の甥、柴田勝豊が織田信長により焼きうちされた 豊原寺(豊原三千坊)跡に豊原城を築いたが、後に丸岡へ移築された。現存している城の中で日本最古とされている石の瓦を屋根にもつお城である。
後に出てくる寺と墓所は「一筆啓上火の用心、お仙泣かすな馬肥やせ」でおなじみの「日本一短い手紙」の発祥となった、1600年慶長5年、関が原の合戦で徳川家康の家臣、本多作左衛門重次(槍の鬼作左)が合戦場から留守宅へ出した短い手紙が有名ですがそのお仙(息子)本多成重が後の城主になり有馬家時代まで代々続いた。スライドの後に出てくる寺と墓所は本多家の菩提寺(本光院)と墓所である。

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日本最古の天守閣

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07.04.01  名所桜「ソメイヨシノ」3分咲き時に再編集しました。

丸岡城(霞ケ城)

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お静伝説と霞ヶ城の由来を写真で追加更新しました。
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